1 「われ太平洋の橋とならん」−東京大学へ−

 稲造は、日本のために働くという大きな夢を実現するためには、東京大学へ入ってもっと勉強しなくてはならないと思うようになりました。
札幌農学校時代の友と一緒に(左)
 1883年(明治16年)に上京して、東京大学の入学試験を受けました。
 その時、面接をした教授から
「君はどんな目的で入学を希望したのですか。」
と質問されました。

「私は、農政学を専門に研究したいのですが、日本にはまだそういう学問がありませんから、その基本になる政治学、経済学、統計学などを学びたいと思います。それから、大学でもっと英語を学んで、太平洋の橋になりたいと考えています。」

「何、太平洋の橋? それは、どういう意味ですか。」

「日本には日本の長所があり、西洋には西洋の長所があります。私はお互いの国の長所を伝え合い、世界の国々が仲良くし、ともに向上していくようにと願っています。そのための橋わたしの役をしたいと考えています。」

 この答えを聞き感心した教授は、
「それは、非常によい考えだ。しっかりがんばりなさい。」
と言って、稲造を励ましました。

 日本人の考え方と文化を正しく外国へ伝え、そして、西洋人の考え方と文化を日本に正しく広めること、それが若い時の稲造の大きな夢でした。

 東京大学へ入学した稲造は、熱心に勉強に励みました。
岩手公園の生誕100周年記念碑

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