8 京都帝国大学教授から第一高等学校校長へ
▲第一高等学校校長時代の稲造
1903年(明治36年)、稲造は京都帝国大学の教授として迎えられることになりました。(1906年明治39年までは台湾総督府の仕事もかねていたので、毎年一度は、台湾に渡って指導を続けることにしました。)
その後、稲造は、文部大臣牧野伸顕(まきののぶあき)のすすめで、第一高等学校の校長となり、東京帝国大学の教授もかねることになりました。学生にしたわれる立派な校長でした。
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